handmade yellow

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iPhone 6 Plus を iPhone SE に買い替えた

有史以来人類が手に抱えてきたものの中で2番目に大きなものが iPhone である。 iPhone は巨大である。人類が手に抱えるには iPhone がいささか巨大すぎることは一目して瞭然である。だが初めからそうであったわけではない。この世の全てが初めからそうであったわけではないようにかつて iPhone は小さかった。 iPhone がこの世に生を受けたとき、つまり禿げた老人のジーンズのポケットから出てきたとき、 iPhone はまだ貧弱であった。貧弱なので iPhone を手にした我々は困惑したものである。困惑したけれどもなにせまだ生まれたばかりであり小さく可愛らしいので大事にジーンズのポケットに入れておいた。時が経つにつれ iPhone は成長した。 iPhone は成長し、大きくなった。大きくなり、ジーンズのポケットの中で存在感が増した。あの可愛らしい iPhone が立派になって、と我々も目を細めた。しかしある日 iPhone の生みの親であり育ての親でもある禿げた老人が亡くなった。後見人は便器職人であった。それからというもの、 iPhone の様子がおかしくなった。もう十分に成長したと思われていたのにさらに大きくなりはじめた。そうして iPhone は巨大になった。ジーンズのポケットに入らなくなった。それでもなお iPhone は大きくなる。 iPhone が大きくなることを止められる者はもういない。 iPhone の巨大化は止まらない。そのうちに人類は iPhone を背負うようになるだろう。背負えなくなると車輪付きケースを作るだろう。やがてそれでも運べなくなり iPhone は街の中心に安置され皆に見守られていくだろう。皆に見守られながら iPhone は大きくなっていく。ビルを越え、山を越え、天を越え、 iPhone は大きくなる。まるで、いつか天国の親の元へ届くと信じているかのように。

人類が手に抱えてきたものの中で最も大きいものは今のところはサーフボードであるが、おそらく近々 iPhone がその座を奪う。よりパワフルに、より楽しく。注目を浴びることも、水しぶきを浴びることも。乗るしかない、このビッグウェーブに。

Inside Out

口内炎のせいで人生をスポイルしている。口内炎のせいで立っても座っても激痛がするしものを食べても飲んでも激痛がする。激痛がするというのは「それをすることをやめろ」という自らの身体からのサインに他ならないと察するところであるが何をしても激痛がするということはつまり「死んでしまえ」という身体からのメッセージなのだと思い当たりおれは狼狽した。いくらなんでも「死んでしまえ」はないだろう。もしも他人に軽々しく「死んでしまえ」などと言われたならばどんな人でも心が酷く傷つく。それは間違いなく心が酷く傷つくものだ。しかし今現在おれを苦しめているこの口内炎の激痛はそれと同じくらいに心を抉られるものであるのだとこちらの方では決めつけている。これまでにも口内炎になったことはあるけれどもこれほどまでに口内炎がつらいと思ったことはない。これほどまでにつらいと思った口内炎もないけれども口内炎以外にもつらいことは人生にたくさんある。人生にたくさんあるつらいことの原因は大抵大きく分けて3つの理由がありそれはどうしようもない人間かどうしようもないシステムかどうしようもない口内炎のせいである。どうしようもないものに対して人間ができることというのは大抵罵倒する以外にないと相場が決まっているので人間はどうしようもなく「死んでしまえ」もしくは「一生治らない口内炎にかかってしまえ」と罵倒する。後者の罵倒の方がより残酷である。なぜなら一生治らない口内炎に罹るということはすなわち一生自分の身体から「死んでしまえ」と言われ続ける状態におかれることでそれは酷く傷つく。現在のところおれの人生をスポイルしている元凶はどうしようもない人間でもどうしようもないシステムでもなく差し当たってどうしようもない口内炎であるのでこの下唇の中央やや右にできた口内炎に向かって「一生治らない口内炎にかかってしまえ」と呪い続ける。首尾よくおれを苦しめる口内炎が一生治らない口内炎に罹ったとしたならば今おれを苦しめている口内炎も同様に口内炎の口内炎に「死んでしまえ」と言われ続ける状態に置かれることになりおれを苦しめている口内炎もその一生治ることのない口内炎に対して「一生治らない口内炎にかかってしまえ」と呪うことになるのは避けることができず口内炎が口内炎に対して「口内炎にかかってしまえ」と悪態をつく呪いの連鎖は永遠に続きやがて無限に続く口内炎の親子関係が上下に伸び天を貫き地面を穿ち物質世界と概念世界の境界線をも貫き世界は口内炎に包まれるのであった。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

鍋で米を炊く

鍋を買ったので鍋で米を炊こうということになったが米の炊き方が分からず途方に暮れていた。親元を離れて10年経つがこれまで一度も鍋で米を炊いたことがない。なんとなれば実家でも鍋で米を炊いたことがない。買った鍋はフランスからはるばるやってきたという代物なのでその鍋に適した米の炊き方がインターネットで調べれば分かるに違いないと調べてみたところ洒落た写真を散りばめた洒落た奥様の洒落たブログが現れるばかりである。米の炊き方を調べるほどに世界のどこかにいる洒落た奥様がフランスからはるばるやってきた鍋で米を炊いて子どもに食べさせたという情報が現れるのである。知りたいのは米の炊き方であってフランスからはるばるやってきた鍋で炊いた米を食べて育った子どもがいかに愛らしいかということではない。あるいはフランスからはるばるやってきた鍋の米を食って育った子どもなら米の炊き方を知っているのだろうか。洒落たキッチンの洒落たコンロの洒落たツマミを撮った洒落た写真を示して「火加減はこのくらい」とする母親の子どもなら、あるいは。

米を炊くにはコツがあり「はじめちょろちょろなかぱっぱ」というそうである。「はじめちょろちょろなかぱっぱ」とすると米が炊けるというものである。いくらなんでもそんな馬鹿みたいな話があるだろうか。「米を炊く段階ごとの火加減を示しているのである」という。「ちょろちょろ」はまだしも「ぱっぱ」とはなんだ。いくらなんでもそんな馬鹿みたいな話があるだろうか。これにはさらに続きがあって「赤子泣いても蓋取るな」というそうである。赤子が泣いたら蓋を取りたくなる衝動に駆られるのだろうか。赤子が泣くと蓋を取って殴って黙らせるとでもいうのか。もしや洒落た奥様の愛らしい子どもはフランスからはるばるやってきた鍋の蓋で殴られただろうか。ともあれ要は蓋を取らなければいいのである。であれば蓋を取るなと言えばいい。こんな馬鹿げた話があるか。

そうして人類は炊飯器を発明した。これは米を入れて米を入れた量に応じて水を入れてスイッチを押せば米が炊ける機械である。材料を揃えてスイッチを押せば即座に米が炊けるのである。「ちょろちょろ」と唱えて米を炊く人間を鍋の蓋で殴打したいほどの感動がある。よほどのことがなければスイッチひとつで米が炊ける。赤子がいようといまいとスイッチを押せば米が炊けるのである。これは環境に依存しない炊飯である。なおかつ「ぱっぱ」を解釈する人間の差分すら無視することができる。これが可能にするのは非常に再現性の高い炊飯である。料理は芸術ではない。フランスからはるばるやってきた見栄えのよい鍋の写真を美しく加工して料理を語るのは馬鹿である。料理とは科学である。それは巧みに熱を操り物質を変化させるという意味においてではない。料理は再現されなければならないのである。昨日食べて美味しかった料理のレシピを試してみたら食べた人間が死んだとなっては困るのである。同じ操作からは同じものが出来上がる必要があり同じ操作をより厳密に誘導する仕組みが必要なのだ。人間の手が介するステップを極限まで減らし「ちょろちょろ」などと言わずともスイッチを押せば世界中どこでも同じ米が炊けなければならないのである。洒落た奥様のブログを見ながらフランスからはるばるやってきた鍋に米と水を入れて適当に火を強くしたり弱くしたりしていたら美味しい米が炊けた。だがそういう問題ではないのだ。

Wired

婦人用下着を売る店に出かけることがありその時おれは婦人用下着によって充填された空間の中に立っていた。色鮮やかな婦人用下着が所狭しと並べられ三軸全て見渡す限り婦人用下着であった。どこを見ても下着しかなかった。そこには下着以外の何かが入り込む余地は全くなく婦人用下着を着用した女性モデルのポスターと婦人用下着を眺める買い物客と婦人用下着を売る店員と婦人用下着だけが存在していた。婦人用下着に関連しない物質はその空間においてただただ異物であった。婦人用下着を買いに来たわけでもなければ婦人用下着をしげしげと眺めたところでどうということもない我が身がいかにこの場所において異常であるかということを自覚し震える思いであった。婦人用下着に包囲される中では如何なる挙動も不審となる身にあっては神妙な顔をして考え事をする振りをする他なく婦人用下着の店なのだから店員は下着姿であった方がよいのではないかなと思った。しかしそのような矮小な疑問を抱くことが許されるのもほんの僅かな時間でありすぐさま大量の婦人用下着が全方位から視界に飛び込み婦人用下着の洪水に大地は沈み天は割れ全宇宙が婦人用下着によって膨れ上がり爆発するかの如くであった。それほどに婦人用下着を売る店の店内の圧力は凄まじいものであった。「可愛い下着をつけろ」「パッドで胸を盛れ」という強烈なメッセージだけがそこにあり婦人用下着をつけるわけでもないのになるほどそうしなければならないのではないかと思わされる何かがそこにはあった。しかしその空間を埋め尽くす婦人用下着と「胸を盛れ」というメッセージは凄まじい熱量にも関わらず穏やかでありこの婦人用下着に埋め尽くされた空間は言うなれば太古より崇められ続けてきた神殿のように神々しく大いなる優しさによって何かを包み込むようであった。ブラジャーが包み込むものは胸であるが婦人用下着を売る店はさらに大きな存在すなわち女性個人個人を超え全ての女性が持つ女性という概念そのものを包み込むようであった。あらゆる女性は婦人用下着を売る店では絶対的に許されておりその全てを肯定されていた。「全ての女の子が待っていたブラ」が何を意味するのかは分からないがそこには全ての女性を許し肯定するための何かが詰め込まれているに相違ないという趣であった。「背中のお肉で胸を大きくするブラ」は世の女性を固定観念から解き放ち真に自由となったその身をさらなる高みへと持ち上げるかのようであった。「もちボム」という形容詞に至ってはその言葉の響きや意味を飛び越えて婦人用下着は無限の可能性を秘めた単なる衣類を超越した存在なのであるという証左のようであった。そこにはドリームがあり、フェロモンがあった。婦人用下着の偉大さに触れ感激のあまり「2cupアップ」と書かれたものを指差して是非これを試着して見せてくれと同行した女性に頼んでみましたが断られました。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

Bigger Than My Body

新しいiPhoneを買った。

遠い将来、このテキストを読み返したときのために記しておくべき最低限の情報が必要とされるなら、それは、これがApple社の発表した8代目のモデルのiPhoneであり、おれが手にした3台目のiPhoneであり、これまでで最もデカいiPhoneであるということだ。このデカいiPhoneがおれの元に届いてから一週間が経ったけれども、未だにそのデカさに慣れることができずにいて、毎朝目が覚める度に、枕元に置いてあるiPhoneがデカいのを見てどうしようもない気分になる。どうしてこんなことになってしまったのか。

わからないことばかりである。それまで使っていたiPhoneには不満がなかったし、新しいiPhoneに特別の魅力を感じたというわけでもない。どうして特に悩むこともなく予約注文受付開始日に考えもせず予約をしてしまったのか、自分でもよくわからない。「これまでよりデカいけどそんなにデカくないモデル」と「やたらとデカいモデル」の2つがあって、それで、どうして迷いなく後者を選んでしまったのかもよくわからない。そもそもどうしてiPhoneがこんなにデカくなったのかもよくわからない。デカいだけではなくてダサい。ものすごくダサいわけではないけれど、ダサい。スティーブがいなくなってからというもの、Appleが出す製品はことごとくダサいし、ジョニーがデザインしたOSなんて目を覆いたくなるほどにダサい。なのにおれの手元にはそのダサいOSが積まれたデカいiPhoneが、とてつもない存在感とともにある。

新しいiPhoneはデカいので、ジーンズのポケットに入らない。お尻のポケットにも入らない。頑張れば入るけれども、入れると曲がるという噂である。ジャケットのポケットに入れることもできるがかさばるのでそうしない。従ってかばんに入れることにしている。かばんに入れていると出し入れが面倒だし、デカすぎて両手で持たないと落としてしまうので、電車に乗っている間や、ふと時間が出来た時、iPhoneを扱うことがなくなった。休日はかばんを持ち歩きたくないので、よっぽどのことがなければ持ち歩かないことにしようと思っている。持ち歩かなくてもあまり困らないような気がしている。なにしろ持ち歩いた方が困るのだ。

思えば、最初にiPhoneを手にしてから、どこに行くにも持ち歩いて、インターネットをしていたけれども、それまでは、携帯電話で友達にメールを送ったりしていて、それで、携帯電話を持つ前には、特に持ち歩くものもなかったので、ぼうっとしていた。iPhoneがデカすぎて持ち歩くものがないので、今もそうしている。

どうしてこんなことになってしまったのか。

ノイズ

制服姿の男子中学生が十数人ほど乗り込んできたかと思えば彼らは千代田線の車両の一区画をたちまち占拠し座席いっぱいにぎゅうぎゅうに詰めて座った少年たちの姿でおれの視界はあっという間に埋め尽くされた。男子中学生というのは常にエネルギーを持て余す存在でありそれが故男子中学生と呼ばれるものであるわけなのだけれども、彼らもその例から外れることなく行き場のないしかし圧倒的な活力をすぐさま車内に充填した。ただでさえ一人あたりの人間に割り当てることのできる空間が限られた首都の地面の下でありそこに1ダース半の男子中学生を放り込むとどんな様子になるかは自明である。彼らは男子中学生であり男子中学生というものは恒星のようにエネルギーを放出し続ける存在であるからそれを多少不快に思う人間が居たからといって男子中学生クラスのインスタンスに過ぎない彼らを咎める道理はない。彼らに非はない。それは間違いがない。しかし時に彼らはノイジイに過ぎる。

ぼんやりと車内広告を眺めていたら何かをはたくような音がした。見ると男子中学生が男子中学生から文庫本を奪い取った様子であった。奪い取られたほうの男子中学生が奪い取ったほうの男子中学生に抗議をしている。奪い取ったほうの男子中学生はけらけらと笑いながらそれに応えている。奪い取られたほうの男子中学生が拗ねて座席に身体を預けると、右脇に座っていた男子中学生が笑いながら奪い取られたほうの男子中学生に話しかけ、左脇に座っていた男子中学生が奪いとったほうの男子中学生に叫んでいる。別の男子中学生たちも脇からぎゃあぎゃあと囃し立てている。騒がしい。しかし不快ではなかった。微笑ましいとすら思った。彼らは、手で会話をしていた。

音がなくなることで情報として発現した男子中学生の無邪気さと、音がなくなっても情報として残っている男子中学生の活力は、何をノイズと定義してフィルタするかという問題の難しさを示しているような気がする。「賑やかだった、静かだった」という、どこかで見たフレーズを思い出しながら、そんなことを考えていた。

404 (I do not care if it was) not found

旅先の楽しみと言えばメシである。その土地の食事と一緒にその土地のお酒を飲むこともまたこの世の至上の悦びである。しかしメシは食ってしまえばそれきりなので少し悲しい気持ちがする。写真を撮ってオシャレなフィルタをかけてインターネットにアップロードしてもその悲しい気持ちが和らぐことはない。モノより思い出だなんて幻想だ。何か形に残るものが欲しいのだ。かくして人はお土産ものを買うのである。なべて世は、事ほど左様に資本主義。

世界中どこに行ってもだいたいその土地にはその土地以外の何処からかやってきた余所者に買わせようという目論見の元に売られるものがあるものだ。観光地のようなところであればなおさらである。その土地が発祥であるとかちょっとした歴史物語があるとか時にかなり強引な理由付けをもってして我々に買えそして持って帰れと迫るそれらはしかしその土地の人々にとって貴重な外貨の入手手段であるから、かような涙ぐましい営業努力も決して馬鹿にしてはいけない。馬鹿にしてはいけないがいずれにしても必要のないものを買うのは馬鹿である。それ故に我々はお土産売り場で常に心理戦を強いられるのだ。躱すか、買わされるか。馬鹿は、どっちだ。

能登半島は輪島に出かけた時のことである。それはもう圧倒的な「輪島塗の漆器を買って帰らずは人に非ず」という空気をヒシヒシと感じ「お箸くらいなら買って帰ってもバチは当たるまい」という心持ちになった。バチは当たるまいが「そもそも家ではパスタしか食べない」と思い直しておれは正気を取り戻し箸はおろか箸置きすら買わずその街を後にした。

岡山は倉敷の南に出かけた時のことである。それはもう圧倒的な「国産ジーンズの聖地たる児島でジーンズ買わずんば人に非ず」という空気をヒシヒシと感じ「ジーンズくらいなら買って帰ってもバチは当たるまい」という心持ちになった。バチは当たるまいが「そもそも国産ジーンズ信仰に縁はない」と思い直しておれは正気を取り戻しロンドンで買ったジーンズを穿いて意気揚々とその街を後にした。

旅の思い出にモノは欲しいが、欲しいモノは別にない。無理をして買うというのも無粋であろう。眺めるだけで買わない、世界のあちこちでウインドウショッピング。そういう旅も、贅沢でいいと思う。

fog

昔MacPowerという雑誌で連載されていた「人生を豊かにする偉大なるムダ遣い」という小山薫堂さんの対談形式のコラムがとても好きだった。詳しい内容はもう覚えていない。しばらく前に雑誌が一度休刊になってしまい、その時に読むのをやめてしまったのでそのコラムがどうなったのかも知らない。しかしそのコンセプトというか、雰囲気が好きだったので毎月楽しみに読んでいた。単なる贅沢とは違う、見方によってはムダ遣いのように見えるけれども、それが日々に潤いを与えてくれるのだという。そういう余裕のある考え方はいいなと思う。

さて収入に余裕がなければ人生にも余裕のない身であるから豊かさなどと言うまでもなくムダ遣いは避けねばならない。ムダ遣いを避けるためにはいくつかの工夫が必要で、そうするとものを買うとなるとまず「これがなければ俺は死ぬのか」という問いかけをするところから始めることになる。その答えがイエスだと「手持ちの何がしかを工夫すれば買わずに済むのではないのか」という第二の問いが降ってくる。さらに「買うにしても別のもので代用できそうならそちらを買うべきではないか」という第三の問いが投げつけられる。それらをパスすると晴れて「どうやら買う必要がありそうなものリスト」に入ることになる。しかしリストに入ると即座に買うわけではない。時折リストを見返して「意外となくても生きていける」と思うとリムーブする。半年くらい経ってもまだしぶとくリストに入っていると「買ってもいいかな」という気になる。経済状況に余裕があれば買う。そういう具合である。そういう具合であるのでムダ遣いと思うような買い物をあまりしない。あまりしない代わりに常に何がしか不自由している。しかしそれが身の丈に合っているという気もする。

加湿器を買ったのはつい先日のことである。冬場に部屋が乾燥するのは耐え難いが、清貧ベストプラクティスに沿えば、それは薬缶でお湯を沸かすとか、濡れたタオルを干しておくとか、そういうハックで乗り切るべき些細な困難でしかない。それなのに加湿器なるものを買ってしまった。他の何にも使えない、ただ部屋を加湿するだけのマシンである。電気を食う。水も使う。場所を取る上に冬場にしか使えない。加湿器そのものも決して安いとはいえない。「こんなもの買うんじゃなかった」と後悔するに足るだけのムダ遣いである。きっと夏にもなれば「なぜこいつは部屋の除湿はしてくれないのだ」と逆さまに置いてみたりするに相違ないのである。

しかしながら、加湿器は今のところそんな不安を拭い去るに足る活躍を見せている。我が家にやってきた加湿器はとてもパワフルな代物であり、スイッチを入れるともくもくとミストが立ち上りたちまち部屋は霧がかかったようになる。ベッドの脇の雑誌はふにゃふにゃになり、MacBookのディスプレイは結露する。「こんなに加湿する必要があるのだろうか」と不安になるほどにもくもくと吹き上げられるミストを見ていると「これはただ加湿するだけのものではないのではないか」という気になってくる。これはもくもくとミストを吹き上げるものであって部屋の加湿はその副産物なのではないかという様相を呈してくる。そうなると何か楽しい気持ちになってくる。加湿器のもくもくを見ているだけで気持ちが落ち着くようになる。部屋に霧がかかっているとリラックスできるようになる。これはもう間違いなく人生を豊かにする偉大なるムダ遣いである。もくもくとミストを吐く加湿器は間違いなく生活に潤いを与えてくれている。

no noodle

この店は美味しかった、前に日本に行った時食べたものと比べても悪くなかったとロンドンの友人が教えてくれた「とんかつ」というラーメン屋はSOHOの中心から歩いてすぐのあたりにあって、果たしてその珍妙な店の名前はおれのリスニング力が足りないだけでなんのことはない「トンコツ」だったのだが、いかんせんその店のラーメンは不味かった。海外のラーメンによくあるてんで見当違いのラーメンではなく確かに日本にもありそうな具合の地味に不味いラーメンであり、それを食うやいなや近所の不味いラーメン屋のことをおれは思い出した。なんとも微妙な麺の具合、名状しがたいイマイチなスープ、ペラペラのチャーシューはおれの家の近所の不味いラーメン屋のそれに酷似しており、数週間に渡る英国滞在の最後の日にして全く予期せぬ形で母国への郷愁を覚えさせられおれは狼狽した。

それから半年ほどが過ぎたある日の夜に空腹に耐えかねたおれは家の近所の不味いラーメン屋の暖簾をくぐっていた。夜も遅く冷蔵庫に食材はなく他に開いている店もなかったから仕方がなかった。いつも通り不味いラーメンを注文し待っていると不味いラーメンが出てきた。心なしか親父の愛想がこれまで以上に悪い気がする。おれが不味い不味いと口外しているのがどこからか伝わったのではなかろうか。しかし不味いラーメンを不味いと言って何が悪い。不味いと言いつつ食いに来ているのだから否やはあるまいなどと思いながら麺を啜る。不味い。イマイチなのではなく不味い。何故おれはこんな不味いものを食っているのか。腹が減っていれば大抵のものは美味く感じるものだが不味い。深い悲しみに襲われ、しかし楽しかったロンドンの記憶を思い出し、おれは微妙な心境に陥っていた。替え玉を注文する。程なくして本当に茹でたのか怪しい具合の麺が出てくる。それをスープにぶち込んで麺を絡めてからまた啜る。不味い。もう一度替え玉を注文する。二玉までは無料なのだ。でなければこんな不味いラーメンを食いに来たりはしない。再び麺をスープにぶち込んで啜る。不味い。何故おれはこんな不味いものを食っているのか。ワンコインで腹が膨れる。でなければこんな不味いラーメンを食いに来たりはしない。腹は膨れる。だがこの寂寥感はなんだ。

辛い気持ちになりながら麺を啜っているおれの後ろではげらげらと笑いながら中年女性の二人組がやかましく喋っている。「てへぺろ〜!」とか言っている。その奥のテーブルでは水商売の人と思しき若い金髪の女性が一人煙草を吸いながら酒を呷っている。親父は無愛想にキッチンで何か作っている。その中心でおれは何故こんな不味いものを食っているのかと自分を責めながらラーメンを啜っている。なんだこの空間は。宇宙か。

ロンドンで飯を食うなら美味い日本料理の店があるかもしれないなどと幻想を抱かずにブリック・レーンのインド人街のカレー屋に行くことをお勧めしますし、こちらを以って新年の挨拶に代えさせて頂きます。

l'anno scorso

なんでオレを置いていくんだ、連れてってくれよと言われた気がしたがそれに構わず勢い良くドアを閉めて走ったのは思ったよりも雨が強くなっていたからで、10mかそこらの距離を飛ぶように走って、自動ドアが開ききるのを待たずに店に飛び込んだ。レジの奥の店員さんが気付いて声をかけてきたので、どうも、と会釈を返す。お探しのものがありますか、と声をかけながら若い女性の店員さんが表に出てきて、あっ、と何かに気付いたような表情になった。いつものやつを、といって棚の袋を1つ取り上げてから、ああそれからもう1つ何か、と言うと、間髪入れずにどんなのがいいでしょう、と彼女が言う。特に拘りもないのでおすすめはありますか、と聞くと前はこれでしたよね、それでしたら最近入ったこれがおすすめですよ、と言う。何か勘違いされている気がする。じゃあそれを1つくださいと伝えると彼女はそれをひょいと取り上げて跳ねるようにレジへと戻り、いつもありがとうございます、と笑いながら言った。おれの微妙な反応を見て彼女が不安そうな顔をするので、どうしたものかと困っていると、奥の若い男性の店員さんがお兄さんですよね、前にも一度来て頂きましたよね、と助け舟を出してくれた。そうです、家族がいつもお世話になっています、と返す。女性の店員さんはそれを聞いてはっとしたようにあれっ、じゃあいつも来ているのは、と慌て、弟さんですよね、全然見た目が違いますよねと男性の店員さんが冷静に返す。それに頷いて笑いつつ、ばつが悪そうに笑う彼女から買ったものを受け取り、お礼を言ってから再び雨の中に飛び出した。ドアを開けて車の中に飛び込むと、置き去りにしていた弟にてめえこの野郎なんでおれを置いていきやがったと飛びかかられて手を噛まれた。

おおむねそのような具合であった。

グローバルたいやきベスト・プラクティス

行列に並ぶのはあまり好きではないのだけれどもその日は根津のたいやきの店の前の行列が普段よりも心持ち短いように感じられたのでその行列を少し伸ばしてやるのはよいアイディアかもしれないと思った。根津のたいやきとは根津にあるたいやき屋である。根津のたいやきは都内でも有名なたいやき屋でその店の前には10数人からの行列ができるのが常であり日中は客足の途切れることがない。客足の途切れることはないのだが行列評論家であるおれの理論によると行列は必ずしも店の評判に比例して長くなるわけではなくて、つねに行列ができるのは店が狭くてお客をあまり入れられないとか、お客にものを出すのが遅いとか、そういう理由がほとんどである。西の人間は「首都の連中は行列があれば並びたがる阿呆ばかりだ」などとよく揶揄するものだが東京のお客一人あたりのお店の広さが他の都市よりも狭いというだけでなかろうかとおれは考えている。根津のたいやきに人が絶えないのはたいやきの味がどうのこうのというよりもたいやきが焼けるのが遅いので列がいつまでたっても進まないというだけでなかろうかとおれは考えているのだ。

かくして数人からなる行列の最後尾に付いたおれは「このくらいなら十分もかからずにたいやきにありつけるのではないか」と考えた。そう考えると楽しくなってきた。天気がよく先刻腹に収めたおうどんのおかげで身体はホカホカしている。たいやきはよいものだ。行列に並ぶのはあまり好きではないのだけれども天気のよい日にたいやきを食べるのはとても好きなので少しくらいなら並ぶこともやぶさかでないのである。高校の頃、授業の合間を見て学校を抜けだしてたいやきをよく買いに出かけたことをおれは思い出した。あんこのぎっしり詰まった焼き立てのたいやきを冬の寒い日に食べるのはとても幸せなことだ。

時計を見ると二十数分が経ったように思えるけれども自分の前にはまだ五人ほどが並んでいておれは寒さに震えていた。天気はよいけれども根津のたいやきの店先は日陰になっていて吹き抜ける師走の風は容赦がなかった。おうどんで温まった身体はついに熱を失ってしまいおれは祈るように両手を擦った。鼻が寒さで赤くなっている。鼻水が出そうだ。根津のたいやきに行列が絶えないのはたいやきが焼けるのが遅いからだと思っていたけれどもこれほどまでに遅いものか。行列の向こうでせっせとたいやきを焼いているおじさんの手元を見たところでは一匹あたり一分程度しかかかっていないようである。なぜ行列が進まないのだろうかと訝しんで凍える身体を乗り出し行列の先頭のお客の様子を観察しているとなにやら巨大な包み紙を店の人から受け取っているのが見えた。たいやきを大量に買っている!根津のたいやきの行列が長いのは客が大量にたいやきを買うからなのだ。なんということだろう。並んでいるお客の人数だけで「ものの十分やそこらでたいやきが食べられるぞ」などとぬか喜びをした自分の甘さを恥じた。問題とすべきなのは自分の前に並んでいるお客が買うたいやきの総数であったのだ。おれはたった一匹のたいやきを買って食べようと並んだだけなのに大変なことになってしまった。しかし今更列を抜け出すわけにはいかない。冷めた身体をたいやきで暖めなくてはいけない。寒さに耐えようやくお客が前にあと一人となったのでおれは祈った。そんなに沢山いらないでしょう。あまり沢山買っても食べきれないでしょう。「八個ください」ああ!

財布を開くと百円玉が一枚と十円玉が四枚あった。たいやきはちょうど一匹百四十円である。だからこそ並んだのだ。一匹だけたいやきを買おうと思っていたのだ。しかし一匹しか買わないのはなにか悔しい気持ちがする。二十匹くらい買ってやろうか。しかし買ってどうするというのか。

あっけなく手渡された一匹のたいやきを眺めながらおれは「およげたいやきくん」の歌詞を思い出していた。「毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれてイヤになっちゃうよ」という歌い出しのこの歌はたいやきの真実を歌っているのだ。つまりたいやきは一匹一匹それぞれがお客に食べられるたいやきであると同時に毎日焼かれてイヤになる総体としてのたいやきでもある。たいやきは一にして全。たいやきは全にして一なのである。十匹食べようが一匹食べようがたいやきという存在を食べていることに変わりはない。一匹のたいやきを食べているその時、我々は全てのたいやきを口にしているのだ。たいやきは偉大なのだ。焼き立てのたいやきにかぶりついておれは舌をやけどした。

impulse

人間であれば誰しもが抗えない衝動というものがあるように思う。理性が吹き飛び、後先考えることもせず、文字通り衝き動かされるように為す行為について説明を加えることは難しいだろう。そこに明確な理由などない。後から何か尤もらしいことを捻り出すことはできるかもしれないけれども、そういった類の行動を起こしている最中にはおよそ思考というものが存在しない。訓練された身体はある条件に反応して反射的に動くと言われるけれども、それに近しいものがあるのかもしれない。いずれにせよ「どうしてそのような行動に至ったか」ということについて考えることは、科学的には面白い議論であるとしても、それはただ無粋である。無粋であるので考えることはしない。考えることはしないけれども、結果として残ったものには対峙しなくてはいけない。そしてそれは時に残酷である。

残酷な光景ーすなわち食料置き場と定めた棚に山と積まれたバゲットを前にしてはただ途方に暮れるしかない。衝動買い、英語では"impulse purchase"といって全く文字通りで何のひねりもないそれの結果として積み上がったパンの山を前にして取れる選択肢は多くない。即ち喰うという選択である。喰うことは一向に構わない。それは構わないのだが、それにしたってこの量は一体なんだ。およそ一人暮らしの青年の部屋に置いてあるパンの量にしては多すぎる。冷凍庫の扉を開けてみる。そこには冷凍庫という一般的な名称を名乗るのに相応しくない程度には大量の凍ったパンが東京の満員電車もかくやという空間占有率をもってして押し込められている。どうしてこんなことになってしまったのか。パンを買うペースが消費するペースを遥かに超えているからである。どうしてそんなことになってしまったのか。パン屋に行くと衝動買いしてしまうからである。どうしてそんなことをしてしまうのか。そこに明確な理由などない。そのことについて考えることは科学的にも全く面白くはないし、ただ無粋である。

「これは」と思うパン屋を見つける。見つけるとそちらに足を向ける。扉を開けると美味しそうなパンがずらりと並んだショーケースが目に飛び込む。そこから先は覚えていない。次に覚えている光景は、両手に大きな袋を抱えて店の外に立ちすくむ自分の姿である。さぞオモチロイ顔をしていることだろう。だがパン屋の店先に鏡が置いてあることは稀なのでその顔を自分で確認することは少ない。去来する「またやってしまった」という思い。奇妙な充足感。なにか背徳的な感情すら覚える。パンを買うことで満たされている何かは性欲に似ているのかもしれない。

母上に言われた「我々の家系はいつかパンを買うことで破滅する」という言葉が頭から離れない。全くもってその通りである。そして破滅の時は近い。

We gotta make it right

I had been a kind of a man who is a bit cocky. I tended to think and behave that I could be a good reference to the others, wanted others to follow me, and also I know that I did. It might make some people frustrated, but I didn't care. I had been believing that I was right in some point, even I realized in the other point I wasn't. Something has changed. Now I'm not so as I was.

Nobody can change the other's mind. Some can give an influence to the others, but it's slightly different from changing one's mind. It can only give a little chance to make some changes, it's not forcing to do. Behaving like an ultimate answer that everyone should follow doesn't make any senses. I just realized it last night during I was with my gf in the floor where a band was playing. The band play was awesome, I totally enjoyed but also was thinking about other thing. I noticed that I was changed a part of my mind by the other. I was never forced to be. It was like pouring water in the glass little by little, I found it just after the glass was filled and water fell to the ground. Nobody never told me that water is rising and the glass was about to be full, because nobody intended to do so. Keep being in somewhere, or with someone, change one's state of mind gradually, and they call it "change" when they recognize.

I don't want to tell everything, it's just a part of the story that I had. I just want to write this down here so that I can remember. It just means that I have changed.

We can make it right

おいおいなんだってそんなに乱暴に扱うんだ、本は大事にする方だと思っていたのに。そんな無理矢理ねじ込まなくたっていいだろう。そんなに変な本なのかと訝しんでタイトルを見た。ははあ、なるほど。そうきたか。なかなかキツいけど、でも流石いいセンスだなと思った。分かったよ、読むよ。そんなに念押ししなくても。

しばし暇を持て余したので早速読むことにした。開いてみると膝の上に何かが落ちた。拾い上げて、綺麗に畳まれたそれを開いてみた。ははあ、なるほど。そうきたか。胸ポケットに大事に仕舞って、携帯電話を取り出して、離陸前ですからと乗務員のお姉さんに怒られた。

Al Mare

なにしろ普段からずっと、うわ言のようにぼやき続けているのだ。だからごく当たり前のように、そう言った。ジェラート食べたい。

路地を一本入ったところにあるお店のジェラートがとても美味しいよと教えてもらったのは丁度一年前のことだ。すっかり忘れていたけれど、その場所を通りかかった時に突然思い出した。きょとんとした顔にも構わず、勢いそのまま路地に入ると、聞いた通りの赤い日よけの小さなジェラテリアがあった。小さなお店の小さなカウンターにはジェラートがいくつも並んでいて、その横からイタリア人の店員さんが身を乗り出して、少し訛った日本語でお客さんの相手をしている。やっぱりピスタチオのジェラートが食べたい、それからエスプレッソも、ああでもエスプレッソは売り切れだって、じゃあノッチョーラかな、いや、リモーネもいいね、そんな風に並んだジェラートを眺めてはあれこれ悩む。ひとつの儀式みたいなものだ。ピスタチオと、リモーネ。ようやく決めて注文すると、イタリア語話せるのかい、と聞かれた。見栄を張ってイタリア語読みで注文したからだろうか。ちょっとだけね、勉強してるんだ、と返しながらお金を払う。へえ、どこで勉強してるんだい。どこで、うーん。自分で?そう、自分で。ナポリに友達が何人かいるんだ、俺はナポリのティフォージだからね。へえ、ナポリの。ナポリのティフォージか、いいねえ。あなたはどこ出身なの、と聞くと、カラブリアだよ、という返事。イタリアには行ったことがあるのかい。うん、2,3回ね。シチリアにも行ったよ、カターニアとパレルモ。いいところだよね。カターニアのあのお菓子が好きなんだ、なんだっけ。カノッリ?そう、カノッリ。イタリア語で、ちょっとだけ日本語で助け舟を出してもらいながらそんな話をしているうちに、ジェラートが出てきた。そこに椅子があるから座って食べるといいよ、と日本語で言われて、どうもありがとう、とイタリア語で返した。

イタリア語はまだまだだ、これじゃイタリアかぶれ失格だな、なんて笑いながらジェラートを一口食べると、思わず声が漏れた。冷たくて、なめらかで、口の中で溶けて、それはもうとても美味しかった。ピスタチオは味も濃厚で、合わせたミルクのジェラートと一緒に食べると頬が落ちるかと思うくらい。リモーネのジェラートにはレモンピールが入っていて、酸味と爽やかさとレモンの味がいかにも夏らしい。リモーネにはコケモモのジェラートが添えられていて、こちらも酸っぱくてとても美味しい。食べるごとに表情が緩むのが自分でも分かるくらいに満たされてしまって、偶然思い出して通りがかっただけなのに、もう今日は家に帰ってもいいかな、なんて言い出すくらい、そのお店のジェラートは美味しかった。食べ終わって、とても美味しかったとイタリア語でお礼を言うと、またおいで、とイタリア語で返された。

涼しげな風の吹く、天気がよくて気持ちのいい、ある夏の日の夕方のこと。食べたジェラートは、幸せの味がした。

Sinatra

出掛ける用事があったので昼食は適当に済ませようと思っていたのだが言問通りを登り切ったあたりでふとシナトラの炒飯が食べたくなったので昼食はシナトラの炒飯を食べることにした。何気なく思い出したのだが思い出すと無性に食べたくなるのがシナトラの炒飯である。久しくシナトラの炒飯を食べていなかったので期待に胸が躍った。酷く暑くシナトラの炒飯が食べたい昼のことである。

シナトラの炒飯というのはシナトラという店で供される炒飯である。シナトラとは志那虎という屋号のラーメン屋である。東京都文京区の弥生農業大学近くにあるシナトラというラーメン屋は古く小さな店でどちらかというと中華料理店のような店構えである。実際にかつては中華料理店であったとのことである。しかし店主が無類のラーメン好きであるためラーメン屋に業態を改めシナトラというラーメン屋になったそうである。だが残念なことにラーメンはどこにでもありそうな普通の醤油とんこつラーメンであり特に美味しいと思ったことがない。その代わりに炒飯は抜群に美味い。シナトラの炒飯は抜群に美味いのである。そこらの中華料理店の炒飯よりもシナトラというラーメン屋の炒飯は美味いのである。何しろ元は中華料理店である。しかしシナトラはラーメン屋である。炒飯だけを頼むのは失礼ではないだろうかと恐縮しラーメン半チャーセットをいつも頼むのである。炒飯半ラーメンセットがあればいいのにと思いながらいつも喰う。いっそのことラーメン屋でなく中華料理店のままであればよかったのにと思いながらシナトラの炒飯をおれはいつも喰うのである。

シナトラというラーメン屋は跡形なく消えていた。かつてシナトラというラーメン屋が存在したはずの場所には新しく綺麗な建物が建っており小汚い中華料理店のような店構えのシナトラというラーメン屋は消えていた。おれは憤慨した。おれはシナトラの炒飯が食べたいのである。おれは別にラーメンを食べたいとは思っていなかった。ラーメンを食べたいとは思っていなかったがシナトラの炒飯はどうしても食べたかったのである。百歩譲ってラーメン屋が潰れるのはいい。ラーメンを食べたいとは思っていなかったからだ。だがシナトラの炒飯は大変美味しかったのでシナトラというラーメン屋は潰れてもらっては困るのだ。もうシナトラの炒飯を食べることはできない。おれは途方に暮れた。

シナトラの炒飯が食べたいと思いながらしばらく歩いておれは道に迷った。

Il Mare

海に行きたいという欲求を隠すことは難しい。天気のいい日などは特にそうだ。そうするべきであるかどうかはよくわからないけれど、ともすればぶらりと電車に乗ってビーチまで出かけてしまいそうになる自分を律することがたびたびある。海に行きたい。理由はない。理由が必要だと考えたこともない。

何かしたいことがあるとかそういうわけでもない。ただ漠然と海に行きたい。だけど海に出かけてしまえばしたいことはいくらでも見つかるだろう。浜辺を散歩するだけで穏やかな気持ちになれる。砂浜でフットボールをするのも楽しい。潮風に当たりながらビールを飲むなんて最高だ。波のコンディションが良ければサーフィンをしてもいいーもっとも、最近始めたばかりだから、てんで下手くそだけれど。

今住んでいるところから海に出かけるには電車で小一時間はかかる。ちょっと遠いと思う。もう少し海に近い街に住みたい。あるいは今住んでいるところの近くが海になればいい。北千住のあたりにシチリアがあればいい。千代田線で地中海に行けるようになるのはとても良いアイディアだと思う。もしくは北綾瀬のあたりにカリフォルニアがあればいい。そういうことをいつも考えている。

Amundsen-Scott

少し前から南の島に行きたいとずっと思っていて具体的な島の名前を挙げて言うと南極に行きたいとずっと思っている。「この阿呆め、南極は島ではなく大陸である」という指摘をされる向きもあることだろう。だがそんなことはどうでもいい。どうでもいいのである。南極という極限環境下においてはそこが島であるか大陸であるかなどという些細なことはいずれどうでもよくなるものだとおれは想像している。極寒の地、南極。果たしてこれまでにどれだけの数の人間が彼の地に足を踏み入れたのか。かわいいペンギンさんとかがいる、南極。果たしてペンギンは、喰うと美味いのか。

ペンギンの卵はオムレツにして喰うと美味いという情報をインターネットで見つけた。だがいまひとつ信憑性に欠けるところがある。一方肉は魚臭く油が多いため美味しくないらしい。こちらはなんとなく分かるような気がする。しかしやはり実際に喰ってみないことには分からない。南極に行けばペンギンが食えるのかという疑念もあることにはあるが、あのような極限環境では喰うものを選り好みしている余裕など一切ないはずである。生存のためにはかわいいペンギンさんも喰わねばならんだろうし、ペンギンの方も卵の1つくらいは融通してくれるのではないかと楽観的に考えている。

しかし普通の人間は南極に足を踏み入れることはできない。普通の人間が南極に行こうとすればチリやアルゼンチンの港から出港する極地研究の船に一緒に乗せてもらうしか方法がないとのことである。そのようなツアーを企画している旅行会社があるらしく調べてみたところ1週間の船旅で100万円ほどかかるらしい。100万円。南極、100万円。そもそも日本から南米の港に行くまでに少なく見積もってもその半分ほどはかかるであろうから南極、150万円。オムレツの値段にしては少々高い。

南極に行きたいという気持ちは日々強まるばかりである。日々強まる南極に行きたいという気持ちを各方面にぶちまけ顰蹙を買っていたある日「南極で研究してるチームに入れてもらったら」というお言葉を頂戴した。そういえば極地研究所と弊研究所は姉妹組織である。共同研究と称して南極に出掛けることも可能なのではないか。そうに違いない。どうなのですか。「まあチャンスはあるかもしれへんねえ」。共同研究、南極出張。南極、実質無料である。

南極に行って研究をしている方が写真をアップロードしているんだよとblogを見せてもらったときのおれときたらそれはそれはだらしのない顔をしていたに相違ない。ただ漠然とかわいらしいペンギンさんを喰いたいなァと思っていただけであったのに、その美しい風景の数々を綺麗な写真で見せられるとこれはもう行かないわけにはいかないというような具合になってしまった。「研究で行くにしても、南極行く前はかなりしんどいトレーニングせなあかんらしいよ」「南極行けるならなんでもやります」そうして意気込みは語ったものの、南極行きの目処は未だに立っていない。

今もまだ南の島に行きたいとずっと思っていて具体的な島の名前を挙げて言うと南極に行きたいとずっとずっと思っているのだが南極が無理なら沖縄でもいいかなと最近は思っている。

glasses

それはある日の夜のことで、あと半刻もすれば日付が変わる頃、おれは内回りの山手線に乗っていた。吊革に捕まりゆらゆらと揺られると、意識がぼんやり遠ざかる気がする。だけどそれはたぶん気のせいで、一日の疲労感が眠気を誘っているのだろう。耳に飛び込んできた会話が、しかしそんな眠気を吹き飛ばした。

「だって、常に同じものを見ていたいじゃない」 「あー、それはわかる」 「自分が何かを見て感動したとき、その感動を共有出来ないのはイヤ」 「あたしもそれ思ったことある、同じもの見てたいよねー」 「そうそう」 「寝る前の星空とかさあ…」 「あ、着いたよ」

電車が西日暮里駅のホームに滑りこむ。声の主たちが降りて行くのを見送り、再び走りだした車両の窓に写り込んだ自分の顔を見た。眼鏡を外してみて、それからまたかけて、小さく頷いた。

*

それはある日の夜のことで、あと半刻もすれば日付が変わる頃、おれは内回りの山手線に乗っていた。吊革に捕まりゆらゆらと揺られると、意識がぼんやり遠ざかる気がする。だけどそれはきっと気のせいで、一日の疲労感が眠気を誘っているのだろう。ぼんやりとドアの方を見やると、三人の女性が同じ車両に乗ってきた。

「眼鏡を外すとイケメンじゃなくなる人っているよね」 「えー、どういうこと?」 「眼鏡が似合う顔立ちだから、眼鏡をしてると格好いいみたいな」 「逆もいるんじゃない?」 「眼鏡の種類にもよるよねー」 「黒縁の眼鏡でもさ、おしゃれな眼鏡と、オタクっぽい眼鏡があるよね」 「え?」 「ほら、見るからにオタクみたいな眼鏡かけてる人いるじゃん」

電車は上野駅のホームを出発した。声の主たちの方には目を向けず、街のネオンと共に窓に写り込んだ自分の顔を見た。眼鏡を外そうとして、少し考えて、やめた。

*

それはある日の夜のことで、あと半刻もすれば日付が変わる頃、おれは内回りの山手線に乗っていた。吊革に捕まりゆらゆらと揺られると、意識が薄ぼんやりと遠ざかるような気がする。だけどそれはおそらく気のせいで、一日の疲労感が眠気を誘っているのだろう。天を仰ぐように車内広告を眺めていると、女性の話し声が車両に響いた。

「わたし、眼鏡かけてない男の人が好き」 「え、どうして?」 「視力同じくらいの人がいいの。ほら、わたし視力いいし」 「眼鏡とかコンタクトじゃだめなの?」 「コンタクトはいいかもしれないけど、眼鏡はとっさにかけれないでしょ」 「どういうこと?」 「メガネメガネ、って探してるその一瞬がね、もったいない」

車内のモニタは次が日暮里駅であることを告げていた。ほどなくして広告を流し始めたモニタから視線を外し、窓に写り込んだ自分の顔を見た。少しずれていた眼鏡の位置を、ゆっくりと直した。

KINO

学生の頃にアルバイトをしていたレストランは2つあって、20の時に働いていたイタリアン、22の時に働いていたフレンチ、そのどちらもオーナーとは今も連絡を取り合っていて、近くに行くことがあると顔を出すようにしている。先日、一年ぶりにフレンチの方に訪れた。オーナーシェフとマダムは、急な訪問にも関わらず暖かく出迎えてくれた。当時のことや、今のレストランの様子、お互いの近況について話した。アルバイトを辞めてもう4年くらいになるけれども、未だにこうして付き合いがあるのはとても幸せなことだと思う。

もう4年くらいになるので、当時一緒に働いていた人の中には既にレストランを去った人もいる。キッチンで働いていた年上の先輩がいなくなっていた。彼はどうしたんですかと聞くと、シェフは苦笑した。彼は真面目だし、しっかり働いてくれた。彼の働きで忙しいレストランも助かった。そろそろ自分の店を持ってもいい頃かなというある日のことだそうだ。「その前にやりたいことがあるって言ってね、放浪の旅に出てしまった」シェフは笑いながら続ける。「そういうところは、入ってきた時から変わらなかったねえ」

信頼され長く働いていたレストランを辞め、長く付き合って一緒に住んでいたガールフレンドとも別れて、一人で日本を出てあてもなく放浪しているそうだ。確かに彼にはそういうところがあった。彼はひとところに落ち着いて日々を過ごすというタイプには見えなかった。当時聞いた彼の過去はなかなかに波乱万丈で、それも自ら望んで大渦の中に飛び込んでいくようなもので、だから彼がそんな道を選んだと聞いても特に驚かなかった。むしろその気持ちがよく分かった。羨ましいとさえ思う。

世界には二種類の人間がいる。日々の暮らしに安らぎを求める人と、刺激を求める人。普段と変わらない安定した日々を望む人と、常に不安定で先が見えない日々に興奮する人。彼もおれも後者なのだと思う。自分の想像を超えるような事態に遭遇するのが嬉しくてたまらない。だから常に自分の育った環境からの脱出を望んでいる。「自分の知らないもの」に出会うことが、そういう人間にとって無常の喜びだから。

「旅は麻薬だ。自分の育った街を出て、自分の知らない言葉を話す人が住む自分の知らない街に行くのは、一度やったらやめられない」おれの親友のイタリア人がこんなことを言った。先月彼を訪ねた時のことだ。おれは深く同意した。普通の観光客のように、美味しい食事をしたり、買い物をしたり、美しい街や美術品や建築物、自然の風景を見るのも楽しいけれど、「その街の人々の生活に溶け込む」ことで得られる刺激は観光のそれとは比べ物にならない。だからおれはいつも知らない国に行くと、その街に住む人と友達になって「観光客のいないところに連れて行ってくれ」と頼みこむ。その街の人が起きる時間に起きて、その街の人が食べるものを食べて、その街の人が歩く道を歩く。自分がその街の住人になったかのように振る舞うのだ。観光客に道を訊かれたら成功。現地の人に現地の言葉で呑みに誘われたら大成功だ。

「だけど旅はいつか帰らなきゃいけない。だからおれは自分の生まれた国を出ることにした」と、トスカーナで育ったイタリア人は言う。福岡で育った日本人は窓の外を眺めながら「だからってこんなところまで来なくても」と呻いた。「でもいいところだろ、ここも」「景色はいいよ。northern lightsが見れるのもいい。素敵なところだと思う。来てよかった。だけど」「ここには太陽も、パスタも、カルチョもない?」「全然違う」「だからさ」お前も同類なんだから分かるだろ、という顔をする。分かるよ。分かるけど、寒いのは苦手なんだ。何も北極に来なくても。

「こんなところに来たおれもイカれてるけど、ここまでおれに会いに来るお前も相当イカれてる」「しょうがないだろ。ジャンキーなんだよ」ずっとイタリアで育った彼と、ずっと日本で育ったおれが意気投合してずっと連絡を取り合っているのは、お互いに同じ匂いを感じ取ったからなのだろう。お互いに母国語ではない英語で話すけれど、これだけ分かり合えるのは考え方や価値観が同じだからだと思う。全く違う環境で育ったのに、驚くほど同じことを考えて生きている。「早くこっちに来ないと時間ないぜ。あと2年しかない」「分かってる。急がないと」「日本から行くのは辛いぞ」「地球の裏側だもんな…」

日本は好きだし、多くの友人がいる。この先の人生をずっとこの国で暮らすのもきっと悪くはないだろうけど、でも、多分おれはもう手遅れなんだと思う。

OTEMOTO

ある日の昼に定食屋で職場の人々とメシを食いながら雑談している時に「新興宗教の教祖とかイケそうだよね」ということを言われた。大変に心外である。一体どのようなイメージを持たれていたらそんな言葉を頂戴するのだろうか。断固たる遺憾の意を示しつつ「なんですか、使い終わった後の割り箸を崇める宗教をおったてて割り箸メーカーをスポンサーに主婦層を騙したりしそうだって言いたいんですか」と応えた。これはディスポーザブルチョップスティックス教である。割り箸は消費社会の1つの象徴であると言える。割り箸は安価で携帯性に優れ使い捨てであることから衛生的な面でも安心をもたらしてくれる。しかし利便性を求めた結果として日本人が古来より重んじてきた"mottainai"の精神がそこには微塵も感じられない。使った割り箸はその殆どがたった1度の食卓に上がっただけでゴミとして捨てられてしまう。箸を持ち歩いたり洗ったりするというたったその程度の手間を面倒だと思う現代人の怠惰さ傲慢さが有限であり貴重な資源をスポイルしているのだ。豊かな自然に恵まれ環境と共存してきた我々日本人は西洋社会によりもたらされた消費社会に毒されてしまった。このままではご先祖様に顔向けが出来ない。しかし割り箸を使うことを完全に止めるということが著しく困難であるほどにはその利便性に慣れてしまった社会と割り箸という文化によって支えられている雇用は無視が出来ない。つまり我々が出来ることはただ1つである。割り箸に宿った神様を崇め使った割り箸に祈りを捧げることによって我々日本人が古来より受け継いだ自然と共に生きるという精神をさらに次の世代に伝えるのである。それは特別なことは何も必要がなくただ割り箸を使った後にすぐ捨てず割り箸を使う自らの怠惰さを恥じそんな我々に割り箸を届けて下さる割り箸屋の方々に感謝し割り箸という便利なものを生み出した先人の知恵を畏れ割り箸に宿る神様「ディスポーザブルチョップスティックス神」に深い祈りを捧げるのである。しかし日々の祈りだけでは我々の拭い難い怠慢を洗い流し失われた共存の意思を取り戻すことは出来ない。東京都根津に存在する「ディスポーザブルチョップスティックスサンクチュアリ」に巡礼し神様の宿る割り箸「セイントディスポーザブルチョップスティックス」を頂いて自らの家や職場の吉方に奉ることで初めて利便性と引き換えに失われた伝統をもたらすことが出来るのである。割り箸を使い続ける限りこのことを絶え間なく続けることが肝要である。セイントディスポーザブルチョップスティックスはその効力を常に発動し溢れんばかりのDCSオーラを部屋に充満させるが母なる自然のエネルギーを神主が秘伝の儀によって僅かに込めたものであるためその力は有限である。有限であるため頻繁に取り替えることがお勧めされるし可能であるならば全ての部屋と隣近所やよく会話する人々にも利用してもらうことが強く推奨される。セイントディスポーザブルチョップスティックスは決して安価なものではないがそれは割り箸の利便性を享受し逃れられない我々の堕落の裏返しであるので我々はそれを安易にばらまくことはしないがセイントディスポーザブルチョップスティックスを一年分12本に今ならなんとケータイにぶら下げることでその効力を常に身にまとうことの出来るセイントディスポーザブルチョップスティックスストラップを家族の人数分お付けしますし、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

YKHM

気分よく一日を過ごす秘訣はいくつかあって朝起きてベッドから這い出しカーテンの隙間から青空が覗いていた時なんかはそれだけで今日はいい日になるなァと思う。天気というのは神様の気分次第なのでどうにもならないが秘訣というのはそういうものだ。

ある日パシフィコ横浜へ出掛けた。桜木町から歩いてゆくのが一般的だけれども「通は横浜から歩くのである」と横浜在住の知人が言っていたのを聞いたので横浜から歩いてゆくことにした。12月のはじめのことでとても天気のいい朝だった。朝からとても天気がいいので気分もとてもよかった。

歩道橋の階段の下でお子さんを二人連れた若い女性がベビーカーを畳むのに苦労している様子を見かけたので声をかけて階段の上まで代わりに持って上がった。彼女がしきりにお礼を言うものだから「今日は天気がいいですから」とおれは意味のわからない返答をした。彼女は娘さんにも「親切なお兄さんだねえ」と声をかけたが娘さんは神妙な顔でおれを見つめるばかりであった。おれも神妙な顔で娘さんの方を見た。階段の上まで持って上がると女性はおれに「きっと今日はいいことがありますよ」と言った。なるほど通は横浜から歩くものだなァとおれは思った。

その日は朝から天気がよかったのでとてもいい日だった。

iPhoneのプレゼンの時に壁紙をクマノミにしたのが気に入らなかった。なんでクマノミなのだ。何か理由があるのだろうけれどおれはそれを知らない。クマノミでなくて別の壁紙を使った方がきっともっと格好良かったとおれは今でも思っている

四十九日法要も終わったのでスティーブのことを書く。

その日はSMSの着信音で目が覚めた。iPhoneを掴むと画面には"Steve Jobs passed away"というメッセージが表示されていた。おれは職場に出掛けて、部屋の隅に転がっていたColor Classicにスティーブの写真を貼って簡単な仏壇を拵えた。それが正しいかどうかはあまり考えずに手を合わせた。

スティーブとは会ったことがないし話をしたこともない。メールを送ったことも貰ったこともない。動いている姿を見たのはWWDCのストリーミング中継の小さくて画質の荒いウィンドウの中だけだ。有名なスタンフォードでのスピーチも実はちゃんと聴いていない。スティーブについて書かれた書籍も沢山出ているけれど一冊も読んでいない。彼のことをファーストネームで呼ぶのも実は少し後ろめたい。「ミスター・ジョブズ」とかって呼んだほうがいいような気もするけど、あまり気にしないことにする。名言として紹介された沢山の彼の言葉のうち覚えているのはたった2つだけで、そのうちの1つは関空で手裏剣を没収された時に彼が叫んだ「こんな国二度と来るか!」というやつだ。だから彼が死んだと聞いた時は真っ先に、手裏剣くらい持って帰らせればよかったのにと思った。

おれが生まれて初めてApple製ではないコンピュータを触ったのは小学校のパソコンの授業の時で、おれは「なんだこのダサいコンピュータは!」と思った。何故かマウスにボタンが2つあった。画面の文字が汚かった。ケーブルは太く不恰好で、起動すると意味不明の文字が大量に表示された後に奇怪なロゴマークが表示された。「スタート」というボタンを押してコンピュータの電源を切りますと言われた時はどうかしてるんじゃないかと思った。そのうちしばらくして、このダサいコンピュータが世間では普通なのだということを知った。だがおれにとってはMacが普通のコンピュータだったのだ。人々はMacを美しいと言うけれど、おれにとってはただ単に、Mac以外がダサかった。

友人たちはApple信者だと笑ったけど、別にAppleの製品でなくてもいいとおれは思っていた。ダサくない普通のものを選んだ結果、たまたま全てに林檎のマークが付いていたのだと。しかしよく考えなくても、ダサいものは嫌だ、格好良くないとダメだという価値観のスタンダードをおれに最初に植えつけたのは、Appleの製品だったのだ。そうなのだ。そうでなければきっと、林檎マークのステッカーが貼ってあるだけでママチャリが格好良く思えたりはしない。

スティーブがいなくなった途端にAppleの製品がダサくなるとは思えないし、彼がいなくてもAppleがこれまで通り普通の製品を出し続けるのならそれはそれでもいい。そもそも、スティーブがいなければAppleのような会社が生まれなかったのかというとそれはおれには分からない。だけど彼がAppleという会社を作ったからおれはこんな風になってしまった。だからスティーブには責任を持って普通の製品を作ってもらわなくてはいけなかったのだ。それに、小さくて画質が荒いウィンドウで見ても彼のプレゼンはとても格好良かった。おれが知る限りではステージの上であんなに格好良いのはMJと彼だけだ。だからあのプレゼンがもう見られないのは寂しい。あの"one more thing"がもう聴けないのは寂しいよ。

もう1つおれが覚えている彼の言葉は「ステイハングリー」というやつだ。お腹を空かせた方が美味しくご飯が食べられる。彼は偉大だったのだ。

Lakers Beat Knicks

そんなはずはない、と。おれはそう思った。きっと何かの間違いだと。きっとそうなのだ。人間の味覚というやつは本当にいい加減なもので料理の味なんてものは決して料理そのものだけで決まることはない。これは経験上真理であるとおれは思っていて「ジャパニーズガールズにとっての料理の美味しさは誰がお金を払うかによって決まる」という冗句もあながち笑えないのではと真剣に考えることさえあるのだ。だからおれは必死になってずっと自分に言い聞かせた。この街の食事が美味しくないということではないのだ。「この街には美味しいものは何も無い」という刷り込みが、頭からずっと離れない。食事が美味しくないと感じる原因はきっとそこにある。思い込みを捨てろ、先入観を取り払え、あるがままを受け入れろ。そうだ、そうすれば、きっと―。

生まれて初めて訪れた、合衆国はニューヨーク。噂に違わずメシがマズい。

風邪気味の身体にのしかかった12時間の時差もかなり辛かったけれど、食事が合わないのには文字通り閉口した。現地に住む人に「ここは美味しいから」と連れて行ってもらったレストランで口にしたタイ料理やメキシコ料理はまだマシだったが、それ以外はおよそ21世紀の人間が経口摂取すべきものとは思えなかった。約一週間の滞在中、結局NYの食事で一番美味しかったのは博多っ子のおれが同行者を半ば無理矢理引き連れて出かけた一風堂のラーメンだったという事実には引き攣った笑いしか出ない。だがニューヨークで出会った人々は皆が一様に口にするのだ。「この街には全てがある」と。確かにエネルギーに満ちていて、素晴らしい人々の暮らす素晴らしい街だと思う。だがおれにとってのこの世の全てとは美味いメシとカルチョであり、その両方がないこの街には何もないのと同じことだ。まあもっとも、行く前の期待があまりに低かったために実際に行ってみるととてもいい街だと思ったしまた行きたいとも思うのだけれど、次は友人の家に押しかけておれがメシを作ろうと思う。

ニューヨーク出張から帰国したその足で今度は神戸に出張。大学時代を過ごした第二の故郷はまさにホームでありおれは「失われた一週間」を取り戻そうと夢中になって美味い食事を求め、その様子は砂漠を抜け街に辿り着いたキャラバンの一行が水を求めて井戸にダイブするかのごとき必死さであった。そういう場面では大抵井戸が乾いていて何もない地面に激突しついでにバケツのロープが切れて井戸から出られなくなり絶望するのが常だが飢えて意地が汚くなった人間にも期待を裏切ることなく最高の食事を提供してくれるのが神戸という街の素敵なところだとおれは思う。かつてアルバイトとして立っていた店に久しぶりに帰ると、いつも通りの美味しい食事と、いつも通りの手荒い歓迎を受けた。かつておれが居た頃からもう随分と時間が経ったけれど、人は変われど味は変わらないし、昔のように受け入れてくれる。そういう場所があるということはとても幸せなことだと思う。ここには最高の食事とカルチョの話しかないけれど、それはつまり、世界の全てがここにあるということだ。

mille

五月晴れとは梅雨の合間の青空の様子を表す言葉であるからそう呼ぶのは適切ではないのだけれどもそれはよく晴れた五月のある日のことで、その日は師匠と三島へ出張に出かけた。以前初めて訪れた際の三島の空は雨上がりでどんよりとした灰色の雲に覆われていて、まだ桜も咲かない寒い時期のことであったように記憶している。だからこの日は、まるで別の街へ来たかのようであった。しかし天気がよいのはよいことである。そしてよいことは重なるものだ。次によいことは到着の時刻が早かったので昼飯を喰うつもりであった店まで歩いていくだけの時間があったことだ。そこで伊豆箱根鉄道の三島広小路駅までを歩くことにした。歩いていく途中に綺麗な小川があり、その川べりにとても綺麗な水芭蕉が咲いているのを見つけた。水芭蕉はとても好きな植物なのだけれどそれを見るのはとても久しぶりのことだったので、ふんわりと幸せな気持ちになった。ところがそれは実は水芭蕉ではなく水芭蕉のやうな綺麗な植物であったそうである。しかしそれに気付くまでの間は綺麗な水芭蕉を見られてとても幸せだという気持ちに浸ることが出来たのでいずれにせよその日はよい日だったのだ。そしてよいことはまだ重なるのである。とてもよい日だ。

さて、昼飯は鰻である。三島に来れば鰻を喰うということは神様がこの世界を作る前からのしきたりなのであるそうだ。三島にはそこかしこに鰻屋があるのだが、師匠が言うにはこれからゆく鰻屋がとにかく素晴らしいのだということで否が応にも期待が高まった。桜屋という名前の駅前のその店は大変な有名店であるということで早めに行って待っていたが、運良くその日はあまり人も多くなくすんなりと入ることが出来た。よいことは重なるものだ。うな重を注文した。注文したうな重が来たので喰った。代金を払って店を出た。

店に入る前と変わらず天気はとてもよく、昼を過ぎた分だけ日差しは強くなり歩いているだけでじんわりと汗ばんだ。天気がよい上に少し風のある日であったから、その日は富士山がとても綺麗に見えた、あまりにも富士山が綺麗に見えたので、これは現実ではないのかもしれない、思えば、水芭蕉のやうな綺麗な植物も現実のものでないかのように綺麗であったし、夢か幻でも見ているのかもしれない、さては三島へゆく途中の電車の中で寝てしまっているのではないか、と考えるに至った。そうなのではないか。そうであるに違いない。

そうでなくては説明がつかないのでやはりそれは夢の中の出来事であったのだ。注文をしてから暫くして運ばれてきた重箱、緊張のあまり震えながら蓋を開けたその中には鰻、あるいは鰻のやうなものが居た。それを箸で少し取って口に運んだ。その後はよくわからない。何が起きたのかわからないので、もう一口食べてみようと箸で取って食べてみた。それでもよくわからない。今度は、鰻、あるいは鰻のやうなものの下に居る白米も一緒に食べてみることにした。何かが頭の中で弾けたような感覚を覚えた。しかしずっと混乱したままである。一体何が起きているのかを知ろうと一心不乱に箸を動かした。しばらくすると、重箱は空になった。空になった重箱の代わりに頭の中は得体の知れぬ何かで一杯になってしまった。腹も一杯になったが、あまりそのことに気を払う余裕はなかった。

水芭蕉だと思って綺麗だと感動していた植物は実は水芭蕉ではなく水芭蕉のやうな綺麗な植物であるということは後で教えてもらって知ることができたのだが、しかし鰻のやうなものの正体はまだよくわからない。

Voglio solo vivere senza prendersi cura degli altri

手袋を持って出なかったことを後悔した。かじかんだ手を摺り合せながら息を吹きかけ温めようとするその様子はまるで神様に祈っているかのようで、だけど神様は多分おれよりももっと大変な目に遭っている人たちを助けるのに忙しいだろうとも思う。サンタクロース氏が出発するのも、まだもう少し先だろう。だけどそう、これだけ寒いのだからラップランドのトナカイたちも安心してクリスマス仕事に出かけられるだろうし、もしそうならそれはとてもいいことだと思う。

「寒いねえ」唐突にそう呼びかけられて、おれの意識は東京に戻ってきた。丸の内に永久凍土はないし多少暖かくなっても構わないとは言わずに、顔をしかめてその声に応える。おれの表情をどう解釈したのか、彼女は楽しそうにステップを踏みながら「こういう空気は好きだな」と笑った。「そう?おれは恒温動物に生まれてきたことを感謝してるんだけど」「ロンドンの街を思い出すんだよね。こんな感じのしんと張り詰めた、肌を刺すような空気って」理系男子の下らない冗談は白い息と共に霧散して、文系女子の詩的な表現が石畳を叩く足音と響いた。「あー、ロンドン帰りたいな!」「そんな薄着で?」「いや、コートは買わなくちゃね…」「買えばいい」「こっちでは要らないじゃない」「今は?」「もうすぐワイン飲むからいい」「それはそうだ」

気の合う友人ってのはいいものだ。何も言わなくても好みのワインをオーダーしてくれるし、黙ってオリーブオイルにペッパーを削っても文句を言われるどころか「タイミングが完璧!」と親指を立ててくれる。

build a ship in a bottle

蒐集癖というのだろうか。何かものを集めたがる習性というのは、一見して生物学的には何の意味もないようで、だけど何かに突き動かされているようで実に不思議だ。グッズであったり本であったりとにかく人は色々なものを集めたがるね。集めて何かするとかそういうことではなく、集めるという行為そのものを楽しみ、"集まった"というその"状態"に快感を覚える。でもそれは多分本当は逆で、「足りない」という状態に不快感を覚え、完全であること、安定であることを求める習性が生物、いやこの世界には元々あって、傾いたバランスを元に戻そうとするような、ある種の引力のようなものがその根本にあるんじゃないかなって思う。

おれはそもそもモノが雑多に散らばっている部屋というのが気に入らないから、あまりモノを集めるということをしない。それにモノを集め始めるとすぐに自分の居場所がなくなってしまうのだ。物理的に。おれの部屋が犬小屋のように狭いことから犬ちゃんというアダ名で呼ばれているというジョークがすんなり受け入れられてしまいそうなほど小さな我が城(推定5畳半)。部屋は狭い、ものは置けない。だがしかしどうしても抑えられないものが一つだけある。ワインのボトルの蒐集である。

おれの部屋の片隅には飲み終わったワインのボトルが並べてある。今でこそ10数本しかないが、以前までは1平米のスペースを埋め尽くすワインボトルの山がさながらボロ屋を食い尽くすシロアリの牙城の如くおれの部屋に居座っていた。おれの部屋へ遊びにやって来た客人はそれを見て絶句したものだ。「…捨てろよ」「いやーついつい集めちゃってさー」搾り出された声におれはいつもの返答をする。いや、全くもってその通り。実際のところ別に集めているわけではなくて、どのワインもエチケットが可愛くて捨てるに捨てられない。それがいつしか集めているというレベルに達してしまったというわけだ。しかしこのままだとおれの部屋は暇潰しに海に流す手紙の便箋をノアの方舟の乗客に売る商人の倉庫となってしまう。生憎世界の終わりにビジネスチャンスを掴むほどおれは商魂逞しくないのでそいつはお断りだ。ガラスのボトルじゃ筏は組めなさそうだし、洪水が起きないよう謙虚に生きるよ。

そうして仕方なく、一度うりゃーっと捨ててしまったのだけれど、やっぱりそのうちの何本かは捨てられずに残してしまった。お気に入りのラベルだから、それだけじゃない。やっぱりどうしても捨てられないんだ。美味しいワインを飲み干して空になったボトルには、代わりにそれを呑んだ時の楽しい食事の時間の記憶が詰まっているようで。「…捨てろよ」「集めてるんだよ」「ウソつけ、捨ててへんだけやろ」客人の呆れた声に、おれは笑いながら答える。そうだね、実際のところ、ワインのボトルはどうだっていいのさ。集めてるのは、その中に詰まってるものだから。

Walk On

少し前にコンバースのスニーカーを買った。神戸の古着屋で買ったハイカットのオールスター、色はワインレッド。型が少し古いらしくて、細長い形をしているのが結構気に入っている。スニーカーは履き潰してナンボだと思っているから、雨の日だろうがストリートサッカーする日だろうが構わず履きまくり、既に新品だった頃の面影はない。先代もおれはそうやって四年かけてボロボロにしてしまった。でも、スニーカーってそういうものだと思う。ボロボロに汚れたスニーカーほど味が出て格好イイものだ。勲章なんて言うとちょっと大袈裟だけどさ。だけどスニーカーに限らず、靴には歩いた街の記憶が残っているようで、だから旅好きのおれは余計に靴を簡単に捨てられない。

ところでコンバースのスニーカーを履くことをおれは長いこと拒んでいた。なにしろメジャー過ぎるというか、街に出てコンバースを履いている人を見かけない日なんてない。永遠のスタンダード。だからこそ「みんなと同じなのはヤだ!」と駄々をコネがちだったおれはコンバースなんて!と思ってこれまで履いたことはなかったのだけれど、近年は厨二病も治癒してきたのか、いや、悪化したと言うべきか…それは「誰もが履いているスニーカーを街で一番格好良く履きこなしてやる」という気概に変わり、最早歩くのが困難なほどに履き潰してしまった先代の次におれはコンバースを選んだのだった。

ところで実際に履いてみて気付いたのだけれど、コンバースのスニーカーは、ハイカットだと足首までキュッと締まってないと格好良くない。そうすると、靴ひもをしっかり上まで締めないといけないことになる。これが脱ぎ履きする時に意外に面倒臭い。出かけた先で、町屋カフェでランチをしようなんてガールフレンドに提案された日には100%脱がなくてはいけない。だったら脱ぎやすいように最初から紐を緩めておいた方が…と最初は思った。だけどそれでは格好悪いのだ。紐がキュッと締まっていないとダメだ。友人からも「紐結ぶの面倒臭いよなー、余らして後ろに回したら?」とも言われたが、ダメだ。それではダメなのだ。それでは街で一番のコンバース野郎にはなれない(女子はカテゴリが違うので比較対象外)。

だから今でも、朝急いで出なければいけない時でも、待合せで人を待たせている時でも、ガールフレンドがお腹を空かせているから早くオーダーしないと機嫌が悪くなりそうな時でも、コンバースの紐をゆっくりと、しっかりと結ぶようにしている。綺麗に固く結ばないと歩いている途中に解けてしまうし、何より急いで紐を締めるとバランスが悪くなって見た目が悪くなる。これは一つの儀式みたいなものなのだ。昔、飲食店で働いていた時、サロンの紐をギュッと結ぶと自然に背筋が伸びて気持ちが仕事モードになっていたように(実のところ今でもそれは残っている)、コンバースの紐を結ぶと気持ちもキュッと引き締まる気がする。

それだけの思い入れを持って履いてるんだ。「お前スニーカーほんま似合うよなあ」と友人に声をかけられたら、そりゃあニヤリと笑ってしまうさ。

踝が地上6000m

おれの声が神様に届いた。

学生最後の夏休みだから日本一高い山に登ろうと言うが、どうせ登るなら富士山だなんてスケールの小さいことを言っていないでエベレストにでも登ってきたらどうだ、というような話を少し前におれはここに書いた。すると驚いたことに、つい先日、友人の一人がキリマンジャロに登ってきたと言うではないか。彼はおれの文章は読んでいなかったと言うが、じゃあ何故キリマンジャロへ?と訊くと「いやー、今しか行かれへんやろ」、お土産の珈琲豆をおれに渡しながら、何もおかしいことはない、そういう風で彼は答えた。これはもう間違いなく神託である。エベレストに行けとは言わずキリマンジャロなんてどうだい、マザーランド最高峰なんてクールじゃないかと現実的な妥協点をお告げとして差し出すところが神様のステキなところだ。おれはあんたのそういうところが好きだよ。なんといったって、彼が本当にエベレストに向かって万一帰らぬ人になったとしたら、おれは一体どんな顔をしたらいいんだ?「これが本当の凍死神託」?おれの天界ジョークのセンスは絶望的だね!

彼は登山とは別にサファリにも出かけたそうで、地平線の彼方に沈む夕陽をバックに草原をゆく象の群れを見たときは心底感動したと言っていた。「山登ればいいってもんでもないんだよ、分かるだろ?」そんな風にニヤニヤしている神様の顔が目に浮かぶ。ムカつくが全くもってそうだ。学生最後の夏休みだからと言って必ずしも山に登る必要はない。もちろん海に潜ればいいという話でもないね。「今しか出来ないこと」、それを楽しめよ、と。何も"学生最後"だなんて、それを殊更に強調する必要だってなくて、いつだってそうなんだ。今しか出来ないことには今しか出来ないという価値がある。だから日本人は期間限定商品や閉店セールに弱いし、あんなマズそうな飲み物を喜んで買うのも日本人くらいのものだ。

しかし、現地のツアーガイドの兄ちゃんが履いていたボロボロの靴を見かねて、登山ツアー終了後に自分の新品の登山ブーツをお礼にプレゼントしたという彼の行動については意見が分かれるところだ。「別に趣味ちゃうし、もう山とか登らへんしな」そんなことはないだろう、エベレストに登るチャンスだってきっとこの先あるはずだ。それに、地元の人が「ミルクを買うよりこっちを買った方が経済的」と語る山羊一頭の値段よりも高いブーツを安易にプレゼントするというのはどうなのか。彼の善意は彼の意向通りに受け止められるとは必ずしも言えないのが現実の辛いところだ。彼らは、そのブーツを売ってミルクを買い、その美味しさに気付いてしまうかもしれない!ブーツをプレゼントした彼の行動は、本当に正しかったのだろうか「いや、まあ本音はトランクにお土産入れるスペース欲しかっただけやねんけどな」彼の行動は絶対的に正しい。おれは彼の登った山の名前を冠した珈琲を飲みながら、母なる大地とそこで働く人々に想いを馳せた。

神様、彼らがいつも暖かい食事と、友人の多い客と共にありますように。

婦人靴踵取替各種税込千二百円

無表情にしかし情け容赦なく八月の終わりを告げるカレンダーの寸分狂わぬ仕事っぷりを恨めしそうに睨みつつ課題に追われる義務教育時代の夏休みの記憶は既に忘れて久しいが最後の抵抗とばかりに熱エネルギーを北半球に照射し続ける晩夏の太陽の砲撃で蕩けた頭に浮かんだのはかつてそうしていたように蛇口に繋がれた散水ホースで頭から思い切り水を被りたいという思いだった。「そんなに暑いのなら涼しいところへゆけばいいのに」と澄まし顔をして飛び去っていった渡り鳥達には夏には夏の楽しみがあるんだよと強がりを言ったもののやはり暑いのは堪え難い。湿度さえなければなあ。じんわりと汗ばんだ肌を優しく撫でるトスカーナの風が懐かしい。

そう。暑いからだろう。友人達は今夏二度目の富士登山に向かった。なんでも前回のチャレンジでは悪天候で頂上まで至ることが叶わなかったらしく、今回はそのリベンジであるとのことだ。彼らにとって「富士山登頂を目指すも途中で断念した」という思い出は学生最後の夏休みのそれとしては相応しくなかったらしい。エベレスト登頂を試みるも命の危険に晒され途中で断念したというのであれば、それはそれで、大いなる挑戦だった、目的は遂行できなかったがそれを目指す過程で得られたものはかけがえのないものだと胸を張れたのではないかと思うが、富士山ではそうもいかないのだろう。そのあたりがどうも「富士山くらい頂上まで登って当たり前」という国内髄一の霊峰に対するいささかカジュアルに過ぎる認識を表しているように思えてならず、そうであるなら初めからより高い山に挑むべきではないのかと思ってしまう。我々にとって富士山とは、どのくらい高い山なのか。

果たして彼らは登頂に成功したらしい。不老不死の霊薬があったかどうかは分からないが(もう既に誰かが燃やしてしまったのだったか?)、彼らは山の上から日の出を見て大変満足したということだ。その様子はTwitterを通してリアルタイムで伝えられた。流行に便乗してTwitterアカウントを取得したものの全く利用していない友人の一人ですらメイド・イン・エクアドルの携帯電話を使って「富士山頂なう」とpostしている。どうしたというのだ。未だにデフォルトアイコンのままの彼をしてわざわざTwitterにアクセスするということはそれは間違いなくパワースポットと噂される富士山頂の力に相違ないのではないかと思い至った。なにしろ、Twitterは宇宙なのだ。この国で最も宇宙に近い場所。つまり人々は宇宙を、Twitterを感じ一体化するために富士山に登るのだ!そしてどうやら、悲しいことだが、おれは富士山に登る必要はないようだ。

ヒールを履いて山登りなんて信じられないと思っていたら彼女はおもむろに靴を脱ぎピンヒールを岩に突き刺して断崖絶壁を登っていった

友人達がこぞって富士山に登っている。次の大河ドラマで竹取物語でもやるのかと思ったらそうではないらしい。最近はパワースポットとやらが流行っていると聞いた。じゃあ、霊峰富士に何かしら超自然的エネルギーを浴びに行くのか、と尋ねると、いや、別に、と。「そこに富士山があるから」。そりゃあ、急に富士山がハワイにバカンスに行ったりはしないだろうけども。

「同級生には学生時代も今年で最後という奴は多いし、学生最後の思い出を作りたいなんて思ってる奴は多いんじゃないの」とはおれの友人の弁である。それはそうかもしれない。社会人になったら学生のように遊ぶことは出来なくなるから、最後の夏休みは思い出に残る時間を過ごしたい、と考える学生を引き寄せるのに、富士山は十分魅力的である。なにしろ日本で一番高いのだ。しかしそこで「学生最後の夏休みなのだから、世界一高い山に登りたい」と言ってチョモランマ登頂に向かう学生は未だに聞いたことがない。チョモランマを踏破しようとすれば生半可な体力や装備では不可能で、しかも命を落とす危険すら孕んでいるのだ。いくら人生最後の自由時間だからといって命を賭して記憶に残る時間を体験したいと思う学生は少なかろう。そういった意味で、富士山に登るというのは「カジュアルにナンバーワンを体験出来る」という、ファストフードやインスタント食品に慣れ親しんだ現代の若者ならではのチョイスではなかろうか。なんということだ。富士山の権威が貶められている!

しかし、富士山はともかくとして、学生最後の夏休みが好き勝手出来る人生最後の時間、っていう、そういう人生はおれはちょっとなあ。学生だろうが社会人だろうが遊ぶ時は好き勝手遊びたいし、高い山に登ろうと思った時はエベレストを目指すような、そんな人生がいいね。

temperar

その日は食堂も購買も閉まっていたので、学外に昼食を食べに行くことになった。普段はお金を節約するために具の入っていないラーメンやパサパサしたサンドイッチを泣きながら食べているのだが、折角外に出るのならば美味しいものを食べよう、たまには贅沢をしようということで、天ぷらを食べに行くことにした。

一人暮らしをしていると作りやすい料理とそうでないものがあって、だから外食に行く時は「家で作れないもの」を食べることが多い。後処理の面倒な揚げ物もそのうちの一つで、天ぷらを食べるのは久しぶりだった。出かけたのは、かねてよりid:sayamatcherさんから勧めて頂いていた「天清」というお店だ。

本郷通り沿いの路地裏にひっそりとそのお店はあり、特段変わったところのない古びた定食屋という外観を見て少し心配になったものの、中へ入るとそんな印象はすぐに消えた。カウンターへと促され、席に着く。店内は少し狭いものの、汚さはない。小綺麗にしてある店内に加えて、カウンターの中を見ても、使い込まれた道具達があるべき場所に置かれ、清潔感がある。きょろきょろと店内を見回していたおれに、カウンターの中のご主人が「ランチでいいですか」と訊ねた。お願いします、と返事をすると、ご主人はすぐに作業に取り掛かった。しかし、いいですか、も何も、この店のお昼のメニューは定食一つしかない。予め聞かされていたから困ることはなかったけれども、知らなければ戸惑ってしまうかもしれない。なにしろ店の中にメニューの類いは一切ないのだ。それはある種不親切でもあるけれども、しかしその潔さにおれは好感を持った。

ほどなくして、奥さんと思われる女性がおしぼりとお茶を持ってきてくださった。続いてサラダ、ご飯、お味噌汁、お新香。ご主人は目の前で手際よく揚げた天ぷらを、カウンター越しで直接お皿に載せてくれる。まず最初に、えびの天ぷら。次に茄子とししとう。大葉で包んだいかの天ぷら、さつまいもの天ぷら。そして小えびのかき揚げ。早すぎず遅すぎず、素晴らしいタイミングで揚げられるそれらを、大根おろしをたっぷり入れたつゆにつけて、ふっくらしたご飯と一緒にいただく。これが本当に、涙が出そうなほどに美味しかった。天ぷらという料理はこんなにも感動を与えてくれるものだったろうかと、これが本当に職場から歩いて出かけてきた先で食べている食事なのかと、様々な思いが頭に浮かぶ間にも、噛むごとにあふれる素材の味わいと、さっぱりとしていながらさくさくとした食感、確かにある天ぷらの美味しさが味蕾を包み込んで離さない。濃すぎないつゆと辛すぎない大根おろしをまとったこの店の天ぷらは、塩気の強いものばかりが並ぶ食卓に慣れてしまった現代人に、本当の食べ物の美味しさとは何かということを説くかのようだった。ふっくらとしたご飯が優しい味わいを包む一方、その合間にいただくしじみのお味噌汁の旨みが、適度なアクセントとなって全体を飽きさせることがない。ゆっくりと味わいながら一つ一つを食べ進めるも、おれの舌では脳にその美味しさを完全に伝えきるには足りなかった。全てを食べ終わった後、こぼれるように口から出た「ご馳走様でした」の言葉が、その本来の役目をここまで果たしてくれた食事を、おれは他に知らない。

お金を払って、お礼を言い、お店を出た。その日の午後は、全く仕事にならなかった。